私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じる全ての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(ローマ人への手紙1章16節―17節)

1.ローマ人への手紙921節―104
2.コリント人への手紙 第一151節―11
3.ガラテヤ人への手紙313節―21

電車やバスなどの乗り物に乗る時、まず運転手がどのような人なのか、運転を任せて大丈夫かなどをチェックしてから乗る人はいないでしょう。しかも、初めて行くような所でも、降りる駅がいくつ目なのか心配するようなことはあっても、目的地に向かう乗り物に乗ったなら目的地に当然着くことを疑わずに乗るように、あまり意識していなくても、人は信じる力を日常生活において活用して生きているのではないでしょうか。ところで、アスリートの方々は、メダル獲得を目指して日々練習を積み重ねておられるアスリートの方々がよく口にするのは「自分を信じる」と言われるように、世の人々は信じる力を自分に向けてしまうように、天国に入ることさえも行いによるもので自分の努力次第であると考えたり、「地獄の沙汰も金次第」というような言い伝えに則って棺の中にお金や金額を書いた紙をいれるような風習がある地方があります。そのような状況は、パウロがイスラエルの民、すなわちユダヤ人について「神について熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。」と語っているのと同じように世の人々は神の義を知らないからではないでしょうか。今日の聖句が「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じる全ての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」と語っているように、すべての人に福音が必要です。一人でも多くの方に福音が届くように、生まれながら持ち合わせている信じる力を罪の解決を与えてくださったキリスト・イエスに人々の心が向けられるように、主を信じて義人とされるという恵みを知る人々が起こされますように祈ろうではありませんか。