知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。(詩篇100篇3節)
1.列王記 第一18章19節―39節
2.詩篇23篇1節―3節
3.ヨハネの福音書10章7節―16節
4.エペソ人への手紙2章1節―10節
神は人をご自分のかたちとして創造され「生めよ。ふえよ。地を満たせ。(創世記1章27節)」と仰せられたように、アダムとエバから始まって、今の世界人口は75億6101万7500人を超えている、とのことですが、アダムとエバが神の警告をなおざりにして、世全体を支配している悪魔の偽りのことばを信じて善悪の知識の木から取って食べたことによって、パウロがアグリッパ王に主イエス様から与えられた使命について「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである(使徒の働き26章17節―18節)」と語ったように、神によって創造されたにも関わらず、イエス様を信じていないなら、悪魔を父として生きている状態にあるのです(ヨハネの福音書8章44節)。そのような状態から救うために神は御子イエス様を人としてお遣わしになり、エペソ人への手紙2章10節が「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」と語っているようにイエス様を信じる者は神の作品となっただけでなく、イスラエルの民同様、主の民とされたのです。地上のことばかりに心がとらわれてしまうと、世の人々のように“自分”に生きてしまいがちになり、欲に支配され、主の民とされていることを忘れ、不平不満を心にいだいてしまうのではないでしょうか。今日の聖句「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」を心に据えて、悪魔が支配しているこの世に属しているのではなく、主の牧場に憩わせていただいている羊であることを自覚し、私たちを造られた主が私たちに何が必要なのかを一番よくご存知であることを思い起こし、ソロモンのように自分からこの世に何か益になるものがあるのではないか(伝道者の書2章3節)、と主の牧場から飛び出すようなことはせずに、必要なものは主が与えてくださっている、必要ならば必ず与えてくださる、という信仰に生きようではありませんか。神から知恵の心と判断する心をいただいたソロモンは、この世のすべての分野を体験された結果、この世が与えることができるのは空しさのみであること(伝道者の書1章2節)、「神を恐れ、神の命令を守れ、これが人間にとってすべてである。」という結論を出されました(伝道者の書12章13節)。