自分の宝は、天にたくわえなさい。そこのでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたがたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。(マタイの福音書6章20節−21節)
1.箴言19章17節
2.マタイの福音書19章16節―22節
3.ルカの福音書16章13節―15節
4.テモテへの手紙 第一 6章17節ー19節
今日の聖句は「自分の宝は、天にたくわえなさい。」と勧めているのと同時に「宝」と「心」との関係をも語っています。イエス様は「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」と尋ねた金持ちの青年に「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方はひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」と答えられると、青年が「どの戒めですか」と尋ねたので「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と仰せられると、青年が「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」と尋ねたので「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」と仰せられると、彼は多くの財産を持っていたので悲しんで去って行った、とあります(マタイの福音書19章16節―22節)。箴言19章17節に「寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。」とあります、金持ちの青年は天に宝を積む、それ以上主に貸しをつくる機会を逃してしまいましたが、その原因は、隣人を愛しているつもりでしたが、隣人よりも富を愛したことにあるのではないでしょうか。私たちの心が地上のことばかりにとらわれてしまうと、天国行きの切符を持ち、天にあるすべての霊的祝福をもって祝福されていることを忘れ、世の人々のと同じように神よりも富を愛し、富に仕え欲に支配され、満ち足りた心を失ってしまうのではないでしょうか。コロサイ人への手紙3章2節が「あなたがたは、地上のことを思わず、天にあるものを思いなさい。」と勧めているように、死からよみがえられ父なる神の右に座しておられ、私たちの信仰がなくならないように祈っていてくださる主を見上げ、永遠のいのちが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。