まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。(詩篇33篇21節)

<関連聖句>

1.詩篇371節―4
2.イザヤ書122節―6
3.ローマ人への手紙56節―11

<メッセージ>

人は喜びを与えるものをこの世に求めますが、箴言15章13節が「心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂があれば気はふさぐ。」と、心にあるものがその人の表情に表されることを語っているように、この世が与える喜びは予想外や予定外のことが起こると、一瞬のうちに嘆きや悲しみや憂に変わってしまうような弱さを持っているのではないでしょうか。ところで、宮の守衛長や役人たちが使徒たちを議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちに「あの御名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」と、問いただしたので、ペテロをはじめ使徒たちは「人に従うより、神に従うべきです。私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右にあげられました。私たちはその証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」と答えたので、彼らは怒り狂い使徒たちを殺そうとしたのですが、すべての人に尊敬されている律法学者でパリサイ人のガマリエルの助言に従って殺害することはやめましたが、使徒たちをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放したのですが、驚くべきことに、使徒たちは御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った、とあります(使徒の働き5章25節―41節)。彼らの喜びは状況に左右されるようなもろいものでなかったのは、まさしく今日の聖句が「まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。」と語っているように主を喜び、聖なる御名にどれほどの威力があるかを知っていたからではないでしょうか。いのちをささげてまで愛してくださっているだけでなく、ペテロに「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」と仰せられたように、私たちの信仰がなくならないように祈っていてくださる主がともにいてくださることを喜んで生きようではありませんか。