聖書箇所
人の望むものは、人の変わらぬ愛である。貧しい人は、まやかしを言う者にまさる。(箴言19章22節)
<関連聖句>
1.ローマ人への手紙8章38節―39節
2.コリント人への手紙 第一13章1節―8節
3.ピリピ人への手紙2章6節―8節
<メッセージ>
神がアダムに「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と言った警告を直接聞いていなかったエバに蛇に化身した悪魔は「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と、神のことばを完全否定しただけでなく、まやかしをもって罪を犯すように誘惑したのですが、悪魔が「あなたがた」と語ったように神から直接警告を受けていたアダムもそこにいたことがわかります。彼らは善悪の知識の木から取って食べたことによって、アダムはエバのことを「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女(イシャ)と名づけよう。これは男(イシュ)から取られたのだから。」と言っていたのに、神から「あなたは食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」と問われると「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」と、エバが食べようとした時、止めることも、神に謝罪せず、神とエバに責任を転嫁し二人の関係だけでなく神との関係にも亀裂が入ってしまったのでした。本来、神は人を不変の愛をお持ちのご自身のかたちとして創造されたので、今日の聖句が「人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」と語っているように、どんなに生活が豊かになっても、人がが求めているのは不変の愛であることがわかりますが、生まれながらの人間は自分の利益を求め、感情に支配されているために、人の愛は不変でないことも明らかです。一方神の愛は、十字架のイエス様によってはっきり示されたように自己犠牲の愛であり、私たちの行いによって左右されるようなものではなく、人が望んでいる不変の愛なのです。今日の聖句の後半に「貧しい人は、まやかしを言う者にまさる。」とあります。コリント人への手紙 第二8章9節は「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」と語っています。人としてこの世に遣わされたイエス様は、まやかしを言ったサタンやまやかしを言う人々よりもまさっておられる方であり、イエス様を信じる者には不変の愛である神の愛を聖霊によって心に注いでくださっているのです(ローマ人への手紙5章5節)。人が望んでいる不変の愛はキリスト者にのみ与えられていることを思い起こし、自分に生きるのではなくキリストに生きるなら神の愛に生きることになり、人々が求めている変わらない愛、すなわち人としてこの世に遣わされ神の愛を示されたキリストを証しすることができるのではないでしょうか。