聖書箇所

あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブの手紙15節)

<関連聖句>

1.列王記 第一 3章3節―12
2.箴言23節―10
3.マタイの福音書77節―11

<メッセージ>

この世は、とかく学校での成績や知能指数によって、またどんな大学を出たかで決めてしまいがちなり、学歴がものをいうような社会は競争社会を、貧富の差を生み出しているのではないでしょうか。ヨハネが「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。(ヨハネの手紙 第一2章15節-16節)」と、パウロが「この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。(コリント人への手紙 第二4章4節)」と、語っているように、競争社会や貧富の差を生み出している原因は、欲にあるとともに、ひとりひとりを創造された神を見えなくしているこの世の神、すなわち悪魔にあることがわかりますが、時には教会の中にもこの世と同じようなことが起きてしまうことがあるのではないでしょうか。福音の奥義をご存知なパウロでさえも自分を見たら「みじめな人間です(ローマ人への手紙7章24節)」と語っているのですから、だれでも自分を見たらみじめさを認めざるを得ないものですが、パウロはみじめさの中に座り込んでいるのではなく、そのような者のためにいのちを捧げてくださったイエス様と御子をお遣わしになられた神を見上げ、神の愛の広さ、長さ、高さ、深さを知る者となられたのでした(エペソ人への手紙3章18節)。今日の聖句は「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」と、祈ることを勧めています。人に一番必要なのはこの世の知恵ではなく神の知恵だからです。どうしてよいのかわからない時、「主よ知恵を与えてください」と祈り、主が聖霊様を通して与えてくださる知恵に生きるために、自分の考えや感情を静め、すべてのことを益としてくだる主を信頼して生きようではありませんか。