聖書箇所
信仰は聞く事から始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ人への手紙10章17節)
<関連聖句>
1.マルコの福音書5章25節—34節
2.ヨハネの福音書14章22節—26節
3.コリント人への手紙 第二3章18節—14節
<メッセージ>
マルコの福音書5章25節—34節には、十二年の間長血をわずらい、多くの医者からひどいめに会わされ、持ち物をみな使い果たしても何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった女性は、イエス様のことを耳にし、「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考え、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエス様の着物にさわると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じたのですが、イエス様も、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われたのですが、弟子たちは「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれが私にさわったのか』とおっしゃるのですか。」と言うと、イエス様は、それをした人を知ろうとして、見回しておられたので、女性はイエス様に真実を余すところなく打ち明けたのでした。すると、イエス様は彼女に「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と、仰せられたのですが、彼女に信仰が生まれたのは、今日の聖句が「信仰は聞く事から始まり、聞くことは、キリストについての(別訳:キリストの)みことばによるのです。」と語っているようにイエス様のことを聞いたことに端が発しているのではないでしょうか。ひとりの百人隊長が「主よ。私のしもべが中風で、家に寝ていて、ひどく苦しんでいます。」とイエス様に申し上げると、イエス様は「行って、直してあげよう。」と仰せられましたが、「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行っけ』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また。しものべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」と申し上げたのでイエス様は「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」と、イエス様について来た人たちに言われました(マタイの福音書8章5節—10節)。ヘブル人への手紙11章6節「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」を心に留め、百人隊長のように、主の権威を正しく把握し、主が喜ばれる信仰に生きようではありませんか。