聖書箇所

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるばかり与えることのできる方です。(コリント人への手紙第二98節)

<関連聖句>

1.ヨハネの福音書19節―18
2.ヨハネの福音書632節―35
3.ローマ人への手紙828節―32
4.エペソ人への手紙37節―19

<メッセージ>

人は自分にとって何が最善なのかを思い巡らし、さまざまなことを計画しますが、箴言27章1節は「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」と、語っています。ヤコブの手紙4章13節―15節は「聞きなさい。『きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。』という人たち。あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』」と、自分の考えでことを進めるのではなく、主を認めてことを行うことを勧めています。主から「あなたに何を与えようか。願え」と尋ねられたとき、ソロモンは主を愛していたので「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」と答えたので、主は知恵の心と判断する心だけでなく、彼が願わなかった富と誉れを与えることを約束されたのですが、ソロモンは神から与えられた知恵を用いて「人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていよう。」と言って、「日の下」、すなわち神を認めないこの世にあるあらゆる分野を探索しましたが、jこの世が与えることができるのは「空しさ」のみであることを発見したのですが、「結局のところ、すべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ、これが人間にとってすべてである。」と結論づけたのでした。人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる主は(詩篇94篇11節)、御子イエス様をお遣わしになり、主を信じる者を空しさから救われただけでなく、今日の聖句が「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」と語っているように、神がどのような方であるかを知ることができるようにしてくださった恵みにあずかる者とされていることを、必要なものは神はご存知で与えてくださることを(マタイの福音書6章8節)、また、すでに与えてくださっていることを感謝して生きようではありませんか。