聖書箇所
神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。(詩篇68篇20節)
<関連聖句>
1.ヨハネの福音書5章24節—24節
2.ヨハネの福音書11章25節—26節
3.エペソ人への手紙2章1節—9節
<メッセージ>
神である主はアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2章16節—17節)」と警告を与えたにも関わらず、神の警告を直接聞いていなかったエバは「決して死にません。」と言った悪魔のことばを信じて食べ、そばにいたアダムに渡したのですが、主が「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。(創世記3章17節)」と仰せられたように、神の警告をなおざりにして善悪の知識の木から取って食べたことによって人類に死が入ったのですが、その死は単に肉体の死だけではなく、パウロが生きているエペソの教会の聖徒たちに「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」と語っているように、「肉体の死」以前に「霊的な死」が臨み、そして死後、キリストが座しておられる白い御座の前に立たされ、地上での行いや心の中のはかりごとも明らかにされてさばかれ、いのちの書に名のしるされていない者はみな、「第二の死」、すなわち火の池に悪魔やにせ預言者とともに昼も夜も苦しみ続ける「永遠の死」を意味するものです(黙示録20章10節—15節)。キリスト者でも、この世から救われるためには「肉体の死」を経験しますが、イエス様を信じる事によって、御霊によって新しく生まれるために霊的死から豊かないのちに生きる者とされ(ヨハネの福音書3章5節—6節)、死をもたらす全生涯の罪は赦されただけでなく取り除かれ永遠のいのちが与えられているので(ヘブル人への手紙10章14節—18節)、第二の死である永遠の死からも救われているのです(黙示録20章6節)。今日の聖句「神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。」を心に据え、死は天国への門であることを、救われていることを感謝し、福音宣教の働きを主が祝福してくださるように祈ろうではありませんか。