聖書箇所
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイの福音書16章26節)
<関連聖句>
1.詩篇49篇1節―15節
2.箴言20章8節―9節
3.マタイの福音書7章15節―23節
4.ヨハネの福音書11章25節ー26節
<メッセージ>
イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。また、父はさばきを行う権を子に与えられました。子は人の子だからです。このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出てくる時が来ます。善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。(ヨハネの福音書5章24節―29節)」と、死ですべてが終わるのではなく、死後の世界があることを、しかもその世界は「永遠のいのち」と仰せられたように、永遠の世界であることを語っています。「永遠」とは時間の制限をうけない終わりのない世界であり、黙示録20章12節―15節は「また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物が開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」と、「第二の死」の存在を語っていますが、それは、悪魔やにせ預言者とともに永遠に昼も夜も苦しみ続けることであることを語っていますが、キリスト者はさばきに会うことなく、「第二の死」から救われているのです。今日の聖句が「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」と、語っているようにどんなにこの世で成功をおさめても、永遠のいのちはキリストによってのみ与えられることを心に留め、「第二の死」を知らずにこの世のことしか考えられない人々の救いのために祈ろうではありませんか。