聖書箇所

神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。(詩篇51篇17節)

<関連聖句>

1.創世記43—17
2.ダニエル書44—37
3.ローマ人への手紙715—83
4.ピリピ人への手紙3章2節—14節

<メッセージ>

パウロは「私は八日目の割礼を受け、イスラエルの民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人。その熱心は教会を迫害したほどで、律法による自分の義についてならば非難されるところのない者です。(ピリピ人への手紙3章5節—6節)」と、自信たっぷりでしたが、「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙 第一1章13節—15節)」と、キリストを知る前の自信や誇りはひとりよがりのものであったことを悟らされ、「誇る者は、主を誇りなさい。(コリント人への手紙 第二10章17節)」と勧める人に変えられたのでした。カインは神から「あなたが正しく行っていないなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」と警告を受けていたにもかかわらず、彼は弟アベルを殺害してしまったので、主から「あなたはいったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。それで、あなたが土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人になるのだ。」と言われると、「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔をから隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも私を殺すでしょう。」と、告白すると、今日の聖句が「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」と語っているように、主は彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さったのですが、それだけでなく、主が追い出されたのはカインをのろわれた地から救い生かすためであり、エデンの東、ノデの地に町を建てて住み、さすらうようなことのないようにされたのでした(創世記4章3節—16節)。人は後悔するようなことをしがちですが、主は私たちのことをよくご存じでとりなしていてくださるだけでなく、守り導いてくださる方である事を心に刻み、自己嫌悪に陥らないように恵みの主を仰ぎ見て生きようではありませんか。