聖書箇所

神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。(テモテへの手紙 第一25節―6節)

<関連聖句>

1.ローマ人への手紙833節―39
2.ガラテヤ人への手紙315節―22
3.ヘブル人への手紙813節―915

<メッセージ>

地を行き巡りそこを歩き回った来たサタンに主が、「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」と仰せられたので、サタンはヨブが神を恐れているのは、主が祝福しているからで、「あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」と言ったので、主は「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはいけない。」とサタンがヨブを攻撃することを許したので、サタンは彼の財産や子供たちを略奪隊や自然災害によって奪ったのでしたが、ヨブは神をのろわなかったので、ヨブを再度攻撃することを許されたサタンは悪性の腫物をもってヨブ自身を攻撃したのですが、ヨブは神をのろうことをしなかったのでした。ヨブを慰めようと訪ねて来た三人の友はヨブであることが見分けられないほどの状態だったので、そのような状態に陥ったのは神との関係に問題があると考え、ヨブの信仰の在り方を非難したので、ヨブは肉体的にも精神的に厳しい状況におかれました。しかし、それでもヨブは神を信じ「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。私の友はあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。(ヨブ記17章19節―21節)」と祈られた答えが、今日の聖句「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」ではないでしょうか。結局神の怒りは三人に臨み、主はヨブに友のために祈るように仰せられたのです。ヨブが友のために祈ると主はヨブに以前にもまして二倍の祝福を与えられたのでした。私たちのためにとりなしていてくださる主がおられることを心に留めるとともに人々のために、中国や韓国、北朝鮮のために祈ろうではありませんか。