聖書箇所

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。(ヘブル人への手紙11章6節)

<関連聖句>

1.マタイの福音書81節―13
2.マタイの福音書1521節―28
3.マタイの福音書2029節―34
4.マルコの福音書525節―34

<メッセージ>

今日の聖句は「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」と神が喜ばれない要素と、何を信じなければならないかが語られています。十二年の間長血をわずらい、多くの医者からひどいめに会わされて自分の持ち物をみな使い果たしてしまっただけでなく、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった女性はイエス様のことを耳にし「お着物にさわることでもできれば、きっと治る」と考えて、群衆の中に紛れ込み、うしろからイエス様の着物にさわった途端に癒されたのでした。そのことを打ち明けた女性にイエス様は「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して家に帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と仰せられましたが、ローマ人への手紙10章16節が「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」と、語っているように、彼女の信仰はイエス様のことを耳にしたことによって生まれ、「きっと治る」とまさしく今日の聖句が語っているように報いてくださる方であることを信じたことによって奇蹟が起きたのではないでしょうか。ローマ人への手紙8章5節―8節は「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。」と神が喜ばれないもう一つの要素を語っています。キリスト者は神がおられることを知っていますし、イエス様を信じていますが、みことばよりも自分の考えや思いを優先させてしまい、神が喜ばれないような状態に陥ってしまうことがありますが、不思議に主に期待する信仰に立ち返るのではないでしょうか。ペテロ同様、信仰がなくならないように祈っていてくださる主が私たちの心に内住しておられるので、どんな時にもどんな状況下でも神がともにおられることを感謝し、主が喜ばれるようにキリストによって与えられた信仰を以って主に期待して生きようではありませんか。