聖書箇所
私の心の思いが神のみこころにかないますように。私自身は、主を喜びましょう。(詩篇104篇34節)
<関連聖句>
1.詩篇19篇12節―14節
2.ローマ人への手紙11章33節―12章3節
3.テサロニケへの手紙 第二3章1節―5節
<メッセージ>
主はサムエルに「角に油を満たして行け。あなたをベツレヘム人エッサイのところへ遣わす。わたしは彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけたから。」と仰せられエッサイのところに遣わされたのでした。サムエルはエリアブを見て、「確かに。主の前で油そそがれる者だ」と思ったのですが、主は「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」と仰せられように、主は私たちの心を見ておられるのです。今日の聖句は「私の心の思いが神のみこころにかないますように。」とまず祈っています。なぜなら、予見者ハナニがアサ王に「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手からのがれ出たのです。あのクシュ人とルブ人は大軍勢ではなかったでしょうか。戦車と騎兵は非常におびただしかったではありませんか。しかし、あなたが主に拠り頼んだとき、主は彼らをあなたの手に渡されたのです。主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。(歴代誌 第二16章7節―9節)」と言われたように、心の思いが神のみこころにかなうことの一つの要素は、人にではなく主に拠り頼んで生きることであり、そうするなら、主が御力をあらわしてくださるからであり、ピリピ人への手紙4章4節―7節が「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と、また今日の聖句が「私自身は、主を喜びましょう。」と語っているように、主を喜んで生きているなら、私たちの心と思いは主に向けられて神のみこころにかなった状態になり、主の御力が私たちに注がれるのではないでしょうか。