先日、2014年12月に種子島宇宙センターから打ち上げられ、2018年6月に地球から3億4000万キロ離れた小惑星「リュウグウ」付近に到達した「はやぶさ2」が人口のクレーターを作る実験に成功したこと、2020年に帰還するようですが、リュウグウの残存物を調べれば、地球の起源と進化が明らかになる可能性があることが、平成最後の大仕事と報道されましたが、人の知恵はいまだに地球の起源を探求し続け、まだ答えを出すことができないことを証明しているのではないでしょうか。
人々が「新しい発見」と言っても今日の聖句は「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。『これを見よ。これは新しい』と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。」と、人が創造される以前にすでに神が創造された被造物を熱心に探索しているわけですが、宇宙に今まで存在しなかった物質が送り込まれたことのよってどれほどの影響を及ぼすのかも定かでないのにも関わらず、近年様々な国々が盛んに宇宙に人工衛星や探索機を打ち上げただけでなく、人間が生活し続けることがきるような機能を備えた宇宙ステーションのことなどを考えると、人の知恵に驚嘆しますが、その一方で、地球はじめこの宇宙を創造された創造者なる神を認めない無神論者や、ローマ人への手紙1章22節―23節が「彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように、自分たちの考えでさまざまな神々を造り、それを神として拝んでいるような状況は、真の神を知ったキリスト者には非常に不可解に思えるのですが、キリスト者になる前は世の習慣に慣れ親しんで当たり前のように、時には敬虔さを味わうために偶像崇拝をしていたのではないでしょうか。
聖書は地球誕生、人類誕生の答えを、それ以上に神がどのような方であるかを明らかにしてくださっています。コリント人への手紙 第二 5章17節が「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と語っているように、私たちの思いや生き方、価値観を全く新しくしてくださるイエス様に多くの方が出会いうことができ、宗教心ではなくイエス様によって与えられる信仰(使徒の働き3章16節)を体験できるように祈ろうではありませんか。