コリント人への手紙 第一 6章19節—20節
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。
<関連聖句>
1.イザヤ書43章1節—7節
2.ヨハネの福音書12章24節—28節
3.ペテロの手紙 第一 4章12節—19節
<メッセージ>
イエス様が宮に上って教え始められると、ユダヤ人たちは驚いて「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」と言ったので、「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。
だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。
自分から語る者は、自分の栄光を求めます。
しかし、自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。
(ヨハネの福音書7章18節)」と、自分の栄光を求めて生きている人と、神の栄光を求めて生きている人の違いを語りました。
ところで、ペテロの手紙 第二 1章2節—4節は「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。
というのは、私たちをご自分の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。
その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。
それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」と、キリスト者は神のご性質にあずかる者とされているので、コリント人への手紙 第二 3章18節は「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて行きます。
これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」と、キリスト者はキリストのご性質にあずかっているので、神の栄光を反映して生きるように御霊なる主がお働きくださることを語っています。
ですから、パウロが「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」と語っているようなキリスト者となる前の生き方ではなく、古今日の聖句が「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。
ですから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」と勧めているように、御霊を消すような、御霊を悲しませるような生き方をしないように十字架にかけられたイエス様によって滅びる者ではなく生きる者とされていることを感謝し、主が喜ばれることかどうか、主の栄光となるかどうかを考慮しながら生きようではありませんか。