ヘブル人への手紙12章2節

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

<関連聖句>

1.コリント人への手紙 第二 4章15節—18節
2.ピリピ人への手が身3章17節—21節
3.ヘブル人への手紙11章24節—27節

<メッセージ>

イエス様は長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえることをご存じでしたので、「今わたしの心は騒いでいる。

何と言おうか。

『父よ。

この時からわたしをお救いください』と言おうか。

いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。

(ヨハネの福音書12章27節)と、またゲッセマネの園においても「わが父よ。

できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。

しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。

(マタイの福音書26章39節)」と、苦しみながらもご自身を父なる神に委ね、罪人の救いのためにご自身をささげられたのでした。

イエス様は弟子たちに「あなたがたは今、信じているのですか。

見なさい。

あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。

いや、すでに来ています。

しかし、わたしはひとりではありません。

父がわたしといっしょにおられるからです。

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。

あなたがたは、世にあっては患難があります。

しかし、勇敢でありなさい。

わたしはすでに世に勝ったのです。

(ヨハネの福音書16章31節—33節)」と、キリスト者はこの世にあっては患難、すなわち悩みや苦しみに会うことを語るとともに、キリストにある平安が与えられることをも話されました。

今日の聖句「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」は、私たちの信仰を完成させてくださるイエス様を模範として生きることを勧めているのではないでしょうか。

私たちの国籍は永遠の御国、天にあり、やがてイエス様にお会いできることを喜ぶとともに、そのことを可能にしてくださった神感謝をささげながら、ご自身を「なだめの供え物」としてご自身をささげてくださったイエス様を見上げ、イエス様同様自分の思いで生きるのではなく、私たち自身を主に委ねて生きようではありませんか。