私は主を待つ。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に望みをかける。(イザヤ書8章17節)

1.エレミヤ書17章5節ー8節
2.哀歌3章22節ー26節
3.ローマ人への手紙15章4節ー13節
4.ペテロの手紙第一1章18節ー21節 

このところ各地で地震が起きたり、突然大雨に襲われたり自然災害が日本だけでなく世界中に起きている状態の中で、かつて過酷な状況下に人々が置かれた時、「こんなことが起きるなんて神も仏もいない。」とテレビのコメンターのおひとりが発言されたことがありましたが、主が御顔を隠しておられるように思わされる悲惨な状態の中で、「神も仏もいない」と思う方がおられる一方で、イエス様を信じる信仰に導かれた方々もたくさんおられるのではないでしょうか。イザヤは人々が「霊媒や、さえずり、ささやく口寄せに尋ねよ」というような状況下にあって(イザヤ書8章19節)、「私は主を待つ。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に望みをかける。」と告白しています。ヘブル人への手紙11章1節に「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるのです。」と、6節には「信仰がなくては神に喜ばれません。」と、そしてパウロは「私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ている事を、どうしてさらに望むでしょう。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ち望みます。」と語っただけでなく「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちはどう祈ってよいのかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」と、私たちに与えられている保証がどれほどのものかを語って励ましています。主が喜ばれるように、どんな状況下にあっても、イザヤのように、疲れた者には力を与え、精力jのない者には活気をつけてくださり、新しい力を与えてくださる(イザヤ書40章29節及び31節)主を、人ではなく主が仰せられたように主を信頼し(エレミヤ書17章5節及び7節)、主から与えらている信仰に立って、主に望みをかけて生きるように心がけようではありませんか