何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。(ヨハネの手紙第一5章14節)
1.列王記第一3章3節―14節
2.ヨハネの福音書12章20節ー28節
3.ピリピ人への手紙4章6節ー7節
4.テモテへの手紙第一2章1節ー4節
イエス様はご自分のことを一粒の麦にたとえられ「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば多くの実を結びます。」と仰せられてから「今わたしの心は騒いでいる」。何と言おうか。『父よ。この時からお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。父よ。御名の栄光を現してください。」と、願いを申し上げると天から「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を著そう。」と声があったのでした。父のみこころを知っておられたイエス様はパンを取り、祝福してから裂いて「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」と、杯を取って感謝をささげてから「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。(マタイの福音書26章26節ー28節)」と仰せられて弟子たちに渡され、賛美を歌ってからゲッセマネに行かれると、ご自分に与えらている使命をご存じでしたが、深く恐れもだえ、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと、「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取り退けてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」祈られたのでした。イエス様が願ったように復活をもって神は栄光を現されたのでした。主を愛しておられたソロモンは主のみこころにかなった願いを申し上げたので、知恵の心と判断する心を与えられましたが、イエス様の祈りを思うと、神のみこころにそった願いをするときには苦しみがともなうことがあることを教えてくださっているのではないでしょうか。人々の救いのために祈る祈りは神の願いはすべての人が救われることですからみこころにかなった願いですが、すぐにその結果が見られないことがありますが、今日の聖句「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」を、主は主の時に結果を出してくださることを心に据えて、主の時を待ち望んで生きるように心がけようではありませんか。