肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして懲らしめるのです。(ヘブル人への手紙12章10節)

1.サムエル記第二7章12節―15節
2.ヨハネの福音書17章6節ー21節
3.ヘブル人への手紙5章7節ー10節
4.ペテロの手紙第一1章5節ー16節 

今日の聖句の前に、まず「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。」と語ってから「父が懲らしめないことをしない子がいるでしょうか。」と問うています。ところで、バプテスマを受けて水から上がると天から「これは、わたしの愛する子(マタイの福音書3章16節~17節)」と声がありました。父に愛されているイエス様は罪人を救うために人としてこの世に遣わされ、多くの苦しみを受けただけでなく、バラバの代わりに十字架にかけられたのですが、十字架にかけられたイエス様をあざけったり、ののしったりした人々のために、イエス様はとりなして祈られたのでした。今日の聖句は「「肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして懲らしめるのです。」と、人の考える清さではなく、神の聖さにあずかるために、しかも私たちの益となるために神は私たちを懲らしめる、と語っていますが、その神の聖さはイエス様によって明らかにされたのではないでしょうか。今日の聖句の後「すべての懲らしめは、そのときには喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによて訓練された人々に平安な義の実をい結ばせます。」と語っています。愛されているからこそ平安な義の実を結ぶために訓練されることを心に据えて、私たちの心が元気を失い、疲れ果てないために、信仰の創始者であり、完成者であるだけでなく、十字架を忍ばれたイエス様から目を離さないで(ヘブル人への手紙12章2節ー3節)生活するように心がけようではありませんか。