悪を行う者に対して腹を立てるな。悪者に対してねたみを起こすな。悪い者には良い終わりはなく、悪者のともしびは消えるから。(箴言24章19節ー20節)

1.詩編37篇1節ー9節
2.詩編73篇1節ー22節
3.ローマ人への手紙12章17節ー21節
4.エペソ人への手紙4章26節ー32節

アサフは「まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。」と、神のことを考えながらも目線をこの世に向けて「どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。」と神がどのような方なのか知らずに高ぶっているにもかかわらず、彼らが栄えるのを見てねたんだことを告白しています。ところで、今日の聖句は「悪を行う者に対して腹を立てるな。悪者に対してねたみを起こすな。」と警告してから「悪い者には良い終わりはなく、悪者のともしびは消えるから。」と語っているように、アサフも「私は、神の聖所に入り、ついに、彼らの最後を悟った。」と語ってから「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。」と悔い改めるとともに「しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。」と、アサフのように、私たちが、この世に目を向けて自分の考えで物事を判断してしまうような愚かな状態にあっても主がいつもともにいてくださること、主の御手の中に生かされていることを喜ぶとともに、パウロが「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。」とやられたらやり返すような生き方ではなく、すべての人が良いと思うことについて「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」と勧めるとともに「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ人への手紙12章17節及び21節)。」と、勧告しています。キリストを信じる前は真の悪である空中の権威を持つ支配者として君臨している悪魔や悪霊の影響を受けていたことを心に据えて(エペソ人への手紙2章2節)、悪を行う人は、すでに有罪判決が下され最終的には火と硫黄との池に投げ込まれ、永遠に昼も夜も苦しみを受けることが決まっている(黙示録20章10節)真の悪い者である悪魔や悪霊に囚われていることを思って、罪や死だけでなく、悪魔や悪霊の手から救われるようにとりなして祈ろうではありませんか。