神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。(詩篇51篇17節)
1.イザヤ書66章1節ー2節
2.詩篇34篇1節ー22節
3. ルカの福音書18章9節ー14節
4. ヤコブの手紙4章4節ー10節
イエス様はペテロがサタンの試みにあって信仰を失ってしまうような状態に陥ることをご存知だったのでしょう。ですから、ペテロに「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と、仰せられたのですが、ペテロは「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。(ルカの福音書22章31節ー32節)」と申し上げただけでなく、「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。(マタイの福音書26章33節)」と豪語したのですが、イエス様が「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と仰せられたように、鶏が鳴いた時、主が振り向いてペテロを見つめられると、ペテロは主のことばを思い出して、外に出て、激しく泣いたのでした。死からよみがえられた主はペテロに2度「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上にわたしを愛しますか(アガパオ=神の愛で愛するか)」と尋ねると、ペテロは2度とも「はい。主よ。私があなたを愛する(フィレオ=友情)ことは、あなたがご存知です。」と申し上げると、イエス様が三度目に「ヨハネの子シモン。あなたは、わたしを愛しますか(フィレオ)」と尋ねると、ペテロは心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛する(フィレオ)ことを知っておられます。」と申し上げると「わたしの羊を飼いなさい。」と仰せられたのでした(ヨハネの福音書21章15節ー17節)。今日の聖句が「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」と語っているように、サタンがペテロはじめ弟子たちを試みることを神が許されたのは、砕くためだったのではないでしょうか。聖霊に満たされたペテロは生まれつき足の萎えた人が癒されたのは、イエスの御名を信じる信仰によるものであり、その信仰はイエス様によって与えられるものであることを人々に証しされ、もはや自分を誇ることをされなくなったのでした。ネヘミヤは悔いて泣いていた民に「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」と言っただけでなくご馳走を食べるように勧めたのでした(ネヘミヤ記8章9節ー11節)。後悔するような時、落ち込むのではなく、ネヘミヤのことばを思い起こし、聖別された日と喜ぼうではありませんか。
