正義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(イザヤ書32章17節)

1.詩篇85篇18節ー13節
2.イザヤ書8章22節ー9章7節
3.ヨハネの福音書14章22節ー27節
4.エペソ人への手紙2章10節ー17節

ミラノ・コルテイナ冬季オリンピックの開会式でミラノの平和の門とコルテイナで聖火がともされたkことが放映されました。事あるごとに人々は平和を望んでいるにもかかわらず、イエス様が預言されたように民族は民族に、国が国に敵対する状況が絶え間なく続いているのではないでしょか。ヤコブは「何があなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。(ヤコブの手紙第一4章1節)」と、ソロモンは「日の下」すなわちこの世を見て「私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまたむなしい。(伝道者の書4章4節)」と、パウロが「私は、私のうち、すなわち私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私は善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分がしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているいのは、もはや私ではなく、私のうちに住む罪です。(ローマ人への手紙7章18節ー20節)」と平和を望んでも実行できない原因を語っています。パウロは「キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとなられました。(コリント人への手紙第一1章30節)」と、今日の聖句は「正義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」と、平和は人の力ではなく、十字架によって敵意を葬り去られた平和の君であり、私たちの義なるイエス様によってつくられるものであり、この世が与えることのできないとこしえの平穏を信頼をももたらしてくださることを語っています。パウロは「キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとなられました。(コリント人への手紙第一1章30節)」と、語ると共に、敵意や争い、ねたみは肉の行いであることを語ってから「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉をさまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。(ガラテヤ人への手紙5章24節)」と語っているように、平和の君でありこの世が与えることのできない平安を与えてくださる主のことを、神の愛がどのようなものであるのかを忘れずに、満ち足りた心をともなう敬虔さをもって生きるようにしようではありませんか(テモテへの手紙第一6章6節)。