何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節ー7節)
1.詩篇50篇7節ー23節
2.詩篇100篇1節ー5節
3.コロサイ人への手紙3章2節ー15節
4.テサロニケへの手紙第一5章16節ー24節
パウロは「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピ人への手紙2章13節ー16節)」と勧めていますが、私たちが願いっていることや志が神からのものなのかどうなのかわからず、イエス様がゲッセマネの園で「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしからとりのけてくだい。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書14章36節)」と祈られたように、祈りの最後に「主の御心がなりますように。」と申し上げながらも、祈った後も「どうなのかな?」と思ってしまうようなことがあるのではないでしょうか。パウロは「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたの願い事を神に知っていただきなさい。」と、私たちの心や思いが守られる秘訣を語っていますが、興味深いことに「キリスト・イエスにあって守ってくれます。」と語っています。イエス様はパンを取り、祝福してからパンを裂いて、「取りなさい。これはわたしのからだです。」と言って弟子たちに与えてから盃をとり感謝をささげてから彼らに与えられたので弟子たちは飲みましたが、そのあとで「これは私の契約の血です。多くの人のために流されるものです。」と仰せられたのでした(マルコの福音書14章22節ー24節)。主は十字架の苦しみをご存知だっただけでなく、復活をもって神の栄光を、人類が救われる事をもご存知だったからではないでしょうか。私たちは祈りや願いを捧げるとき、結果は最善をなされる主の御手の中にある事を忘れずに、思い煩いを主に捧げ、思い煩いや不安を抱えながら祈るのではなく、パウロが勧めているように感謝をもって祈りや願いを捧げるようにしようではありませんか。
