主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。(詩篇118篇27節)
1.イザヤ書60章1節ー3節
2.ヨハネの福音書1章1節ー13節
3.ヨハネの福音書12章9節ー16節
4.黙示録7章9節ー17節
イザヤ書8章19節ー22節は「人々があなたがたに、『霊媒や、さえずり、ささやく口寄せに尋ねよ』と言うとき、民は自分の神に尋ねなければならない。生きている者のために、死人に伺いを立てなければならないのか。おしえとあかしに尋ねなければならない。もし、このことばに従って語らなければ、その人には夜明けがない。彼は、迫害され、飢えて、国を歩き回り、飢えて、怒りを身をゆだねる。上を仰いでは自分の王と神をのろう。地を見ると、見よ、苦悩の暗やみ、暗黒、追放された者。」と絶望的な状況を語ってから「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。・・・やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」と語ってから、「ひとりのみどり子が、私たちのために生まれた。」と、イエス様の御降誕を預言されました(イザヤ書9章1節ー2節及び6節)。ヨハネは「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いてい流。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネの福音書1章4節ー5節)」とイエス様について語っています。過越の祭りに来ていた人々はしゅろの木の枝を取って「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と、イエス様を迎えたのでした(ヨハネの福音書12章13節)。今日の聖句「主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。」は、神が私たちたちに与えてくださった光はイエス様であることがわかります。イエス様は弟子たちの信仰の弱さを語ってから、まず「わたしがこれらのことを話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。」と仰せられてから「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネの福音書16章33節)」と励まされました。苦悩するとき、十字架のイエス様を、死に勝利されたイエス様を仰ぎ見て、どんなことも益としてくださる、私たちの光となってくださっているイエス・キリストに属する者として生きるようにしようではありませんか。
