私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨(春の雨)のように、地を潤される。(ホセア書6章3節)
1.詩篇100篇1節ー5節
2.ヨハネの福音書1章1節ー18節
3.ローマ人への手紙8章27節ー39節
4.ピリピ人への手紙3章2節ー9節
今日の聖句「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨(春の雨)のように、地を潤される。」は、神がホセアを通して偶像礼拝をしていた北イスラエルの民に語ったことばですが、それは特にお正月にちなんでテレビで盛んにお寺や神社を紹介している日本はじめ世界中の偶像崇拝をしている人々にも適用されるみことばではないでしょうか。偶像崇拝者の問題は、彼らがまことの神を知らないことにあるのではないでしょうか。私たちも主が救い主であることを知っていますが、肉が食べたいとつぶやいた、民に吐きけを催すほど肉を食べさせてくださることを話された主に「私といっしょにいる民は徒歩の男子だけで六十万です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一月の間食べさせる、と言われます。彼らのために羊の群れ、牛の群れをほふっても、彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚を全部集めても、彼らに十分でしょうか。」と申し上げたモーセのように(民数記11章4節ー32節)、自分の考えで神の偉大さを小さくしてしまうことがあるのではないでしょうか。パウロは主を深く知る者、神の愛を知る者となられ、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)」と語っているパウロのように、私たちも、どんな状況下にあっても恵みとまことに満ち、暗い夜を追い払う暁のように、人の光である主が(ヨハネの福音書1章4節)、いつもともにおられ助け導いてくださることを感謝し、暗中模索するような人生でなく、いのちのみことばをしっかり握って歩もうではありませんか(詩篇119篇105節、ピリピ人への手紙2章16節)。
