信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。(ヘブル人への手紙11章3節)

1.創世記1章1節ー31節
2.ヨハネの福音書1章1節ー5節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー21節
4.コリント人への手紙第一2章7節ー16節

パウロは「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かなものとなり、不滅の神にの御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章20節ー23節)」と、語っているように日本においても多くの哲学者を輩出したギリシャにおいても多くの偶像を造り、それらのものを拝むことが敬虔なことであり、信仰と思っていますが、パウロは偶像崇拝しているアテネの人々に「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。(使徒の働き17章22節)」と「信仰深い」とは言わずに「宗教心にあつい」と語っています。興味深いことに科学者は火星や月、小惑星に探索機を送り、いまだに地球や人類の誕生について探究している状況があります。今日の聖句は「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」と信仰によらなければ真理を悟ることができないことを、しかもヘブル人への手紙12章2節が、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないように勧めているように、信仰はイエス・キリストによって与えられ、この世が、人間の知恵が与えることのできない悟りが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。