あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっている。(ペテロの手紙第一1章21節)

1.マタイの福音書8章5節ー13節
2.マタイの福音書9章18節ー30節
3.マルコの福音書5章21節ー42節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー9節

アテネの町が偶像でいっぱいのを見て、心に憤りを感じて人々と論じたパウロは、興味深いことに「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何か不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちの息と万物とをお与えになった方だからです。(使徒の働き17章16節及び22節ー25節)」と、アテネの人々に対して宗教は哲学であり、自分でどう信じるかにかかってきますので、パウロは「信仰深さ」と言ったのではなく「宗教心があつい」と語るとともに神がどのような方であるのかを弁明されたのではないでしょうか。多くの医者からひどい目に会わされ自分の持ち物をみな使い果たしただけでなく何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった十二年間長血をわずらった女性はイエス様のことを耳にして「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」考えてイエス様の着物にさわると癒されたので、そのことをイエス様に申し上げると「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と仰せられましたが、彼女はイエス様がどのような方なのかを聞いて信仰が生まれたのでした。三度イエス様を知らないと言って自分のい信仰に失望したペテロは「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっている。」と、信仰と希望は神がどのような方であるのかを知ることによって与えられるものであることを教えてくださっています。私たちの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないために、恵みとまことに満ちておられ私たちの弱さをよくご存知でとりなして祈っていてくださる信仰の創始者であり完成者であるイエス様を見上げて生きようではありませんか(ヘブル人への手紙12章2節ー3節)。