この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)

1.マタイの福音書16章13節ー24節
2.マタイの福音書21章28節ー32節
3.ルカの福音書23章32節ー43節
4.ガラテヤ人への手紙1章4節ー24節

パウロは「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために方のために生きるためなのです。ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。(コリント人への手紙第二5章15節ー16節)」と、人間関係やキリストとの関係においてキリスト者が留意すべき点を語っています。「この世と調子を合わせてはいけません。」と警告しているのは、コリントの聖徒たちはキリストにつてのあかしが確かでどんな賜物にも欠けるところがありませんでしたが「私はパウロにつく」「私はアポロに」と「私」に生きているなら、ただだの人(コリント人への手紙第一1章6節ー7節及び3章3節ー4節)、すなわちこの世の人と同じ生き方していることになるからではないでしょうか。彼は「いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」と勧めています。イエス様は、弟子たちに父が二人の息子に「きょう、ぶどう園に行って働いてくれ」と言うと、兄の方は「行きます。お父さん」と言いましたが、行かなかったのに、弟の方は「行きたくありません。」と言ったにも関わらず、後から悪かったと思って出かけて行きました。どちらが父の願ったとおりにしたでしょう、たとえ話しをもって質問すると、彼らが「あとの者です。」と答えたのでした。サタンの働きは私たちが神との関係よりも人間関係に目を向けさせますが、弟のように、哀歌3章40節が「私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう」と勧めているように、神が願っておられることが何であるのかを思い起こそうではありませんか。