雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。(詩篇31篇24節)

1.ヨシュア記1章1節ー9節
2.詩篇27篇11節ー14節
3.詩篇40篇1節ー2節
4. 哀歌3章22節ー26節 

ダビデはサウルやサウルの軍隊が恐れたゴリアテに「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万 軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを わたしの手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭と胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」と大胆に公言した通り、一つの石を石投げで放ってゴリアテを倒したのですが、サウルからいのちを狙われると、恐れて逃亡生活したのでした。ソロモンは「天の下では、何事も定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と語るとともに「神のなさることは、すべ美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3章1節及び11節)」と語っています。「どうして?」と思うようなことが、「祈りが主のもとに届いていないのではないか?」と思うような時、主の時があることを、神の子とされていることを、主がどのような方であるのかを、私たちに与えらている霊は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊であることを思い起こし、ダビデが「雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。」と勧めているように、生きようではありませんか