神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ人への手紙8章33節ー34節)

1.ルカの福音書18章9節ー14節
2.ローマ人への手紙2章1節ー4節
3.ローマ人への手紙3章23節ー26節
4.コリント人への手紙第一4章4節ー5節

姦淫の場で捕えられた女性に対してパリサイ人や律法学者が「モーセは律法の中で、こういう女を石打ちするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」とイエス様に問い続けてやめなかったので「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と仰せられると、年長者から始めて、ひとりひとり出て行きましたが、パリサイ人たちは去らずにとどまり、イエス様が「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と仰られるとパリサイ人は「あなたは自分のことを自分で証言しています。だから、あなたの証言は真実ではありません。」などと言ったのでした(ヨハネの福音書8章1節ー13節)、彼らの問題は自分の義に生きていたことにあります。ですから、自分の義に生き、自分を義人と自任し、他の人々を見下していたパリサイ人は「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受ける者はみな十分の一をささげております。」と自分を誇ったのですが、「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」と祈られた取税人を神は義と認められたのでした。キリスト者になっても多くの点で失敗し、過ちを犯しやすいものですが、今日の聖句を忘れずに、自分で自分をさばくようなことをせずに、恵みによって救われていることを喜んで主を誉めたたえて生きようではありませんか。