あざける者たちは町を騒がし、知恵ある人々は怒りを静める。(箴言29章8節)

1.詩篇37篇1節ー19節
2.ローマ人への手紙12章14節ー21節
3.エペソ人への手紙4章26節ー32節
4.ヤコブの手紙1章12節ー21節 

日本だけでなく、この頃の世界を見ると、怒りが満ちているのではないでしょうか。今日の聖句は「あざける者たちは町を騒がし、知恵ある人々は怒りを静める。」と、あざける者と知恵のある人の生き方の違いを語っています。その鍵は、神を知っているかどうかに関わってくるのではないでしょうか。ところで、ヤコブの手紙3章13節ー16節に「あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。しかし、もし心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たのではなく、地に属し、悪魔に属するものです。ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。」と、パウロは自分の知恵では神を知ることができない(コリント人への手紙第一1章20節ー21節)、と語っているように知恵には2種類あります。パウロは「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。(エペソ人への手紙4章26節ー27節)」と、ヤコブは「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。(ヤコブの手紙1章20節」と、警告しています。このところ、さまざまなマスメデイアによって報道されていることが真実なのかどうかわからないような時代になりましたが、やがて主が真実が明らかにされることを心に据えて、十字架につけられたイエス様はあざけられても怒らず、変え人々のために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」と祈られたのでした。一時的に怒っても、罪を犯さないために、神がどのような方なのか思い起こして生きようではありませんか。