私は、主の恵みと、主の奇しいみわざをほめ歌おう。主が私たちに報いてくださったすべての事について、そのあわれみと、豊かな恵みによって報いてくださったイスラエルの家への豊かないつくしみについて。(イザヤ書63章7節)

1.詩篇103篇1節ー14節
2.イザヤ書43章1節ー7節
3. ローマ人への手紙11章25節ー36節
4.ローマ人への手紙15章4節ー13節 

サムエルの息子たちが父サムエルの道に歩まずに利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていたのでイスラエルの長老たちはサムエルに「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」言ったので、サムエルが祈ると、主は「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。」と仰せられたのですが、民が神を捨てても神はご自分が選ばれた民を見捨てる事なく、サムエルを遣わして彼らの願っていた王を選ばれたように、どんなことがあっても見捨てるようなことはなさいませんでした。旧約聖書に示されている神と神の民であるイスラエルの歴史を見る時、パウロが「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたものです。それは聖書の与える忍耐と励ましによって希望を持たせるためなのです。(ローマ人への手紙15章4節)」と語っていることがよくわかるのではないでしょうか。イエス様は、ペテロがイエス様のことを三度知らない(ルカの福音書、ということ、弟子たちが「私たちはあなたが神から来られたことを信じます。」と言ってもイエス様ひとり残して家に帰ってしまうことをご存知でありながら(ヨハネの福音書16章30節ー31節)「わたしはあなたを捨てて孤児にはしません。(ヨハネの福音書14章18節)」と約束されたのでした。今日の聖句が「私は、主の恵みと、主の奇しいみわざをほめ歌おう。主が私たちに報いてくださったすべての事について、そのあわれみと、豊かな恵みによって報いてくださったイスラエルの家への豊かないつくしみについて。」と語っているように、どんな時にも、自分の心が責めるようなことがあっても、恵みとあわれみに満ちた主がいつもおられることを忘れずに、主からの平安をいただき(ヨハネの手紙第一3章19節ー20節)、主をほめたたえて生きようではありませんか。