主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。(哀歌3章25節ー26節)

1.出エジプト記13章17節ー14章14節
2.ヨシュア記6章1節ー20節
3.イザヤ書30章15節ー18節
4.イザヤ書40章27節ー31節

ヤコブは「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と語ってから「舌を制御することは、だれにもできません。・・・・私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことがあってはなりません。(ヤコブの手紙3章2節及び8節ー10節)」と語っているように、キリスト者であっても気分次第で発する言葉に違いが出て来るのではないでしょうか。ヨブに降りかかったわざわいのことを聞いた三人の友は悔やみを言って慰めるためにヨブを訪ねたのですが、ヨブであることが見分けることができないほどだったので、彼らは声をあげて泣き、自分たちの上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭にまき散らしたのですが、彼らは七日七夜  、だれも一言もヨブに話しかけることも、主に祈ることもせずヨブが心のうちを正直に話すと、三人の友はヨブの信仰のあり方に疑問を持ち、あざけったのですが、ヨブは「今でも天には、私の承認がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。(ヨブ記16章20節)」と、驚くべき啓示を受けたのでした。今日の聖句「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。」を心に据えて、自分の考えや感情にだまされないように三人の友のような黙り方ではなく、主がどのような方であるかを思い起こし、主に期待して主の救いを待ち望もうではありませんか。