イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠っているのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」(マタイの福音書26章45節ー46節)

1.伝道者の書3章1節ー11節
2.ヨハネの福音書17章1節ー5節
3.ローマ人への手紙13章11節ー14節
4.テサロニケへの手紙第一4章15節ー5章11節

イエス様は弟子たちにエルサレムで多くの苦しみに会うだけでなく殺されるけれども三日目に死からよみがえることを話されたのですが、ソロモンは「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と語ってから「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」と両極端のことを語ってから「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3章1節ー2節及び11節)」と語っているように、ペテロは「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずがありません。」とイエス様のことばを信じていませんでした(マタイの福音書16章21節ー22節)。それだけでなく、イエス様は弟子のうちユダが裏切ることをもすでに語っておられました。イエス様はペテロに「わたしがしていることは、今はあなたにわからないが、あとでわかるようになります。(ヨハネの福音書13章7節)」と仰せられました。イエス様は弟子たちに「まだ眠っているのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」と、「見なさい」と二度仰せられているのは、弟子たちにイエス様が予告しておられたことがすべて実現していく様子を、イエス様のことばが真実であることをしっかり見てほしかったのではないでしょうか。主と主のみことばに留まって生きるようにしようではありませんか。