主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。ー主の御告げー」(エレミヤ書9章23節)

1.マタイの福音書28章18節ー20節
2.ヨハネの福音書1章14節ー34節
3.ピリピ人への手紙2章6節ー16節
4.ヨハネの手紙第一4章7節ー10節

主は「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。ー主の御告げー」と、成功をおさめた人々は自分の功績を誇りがちになりますが、主は、主がどのような方なのかを知っていることこそが誇るべきことであり、それは主を信じる全ての人に求めておられることではないでしょうか。この世の神々と言われるものは人が世話をしなくてはならないものですが、主は恵みとまことに満ちておられ(ヨハネの福音書1章14節)、罪人を救うために罪人の身代わりとなって十字架の死にまでも従われ、人々のためにとりなして祈られ神の愛を示されただけでなく(ルカの福音書23章34節)、ペテロが「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました(ペテロの手紙第一1章3節)」と語っているように、死からのよみがえりをもって死に勝利するいのちを明らかにされ、単なる希望ではなく、死によってすべてが失われてしまうのではなく、死は新しい栄光のからだに生まれ変わらせ、主と共に永遠に生きることができるという希望を与えてくださる方であることを語っています。イエス様は弟子たちに「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタイの福音書28章18節)」と仰せられました。聖霊に満たされた弟子たちやパウロは主がどのような方なのかをよくご存知で迫害にも耐えられたのではないでしょうか。主をどのように知っているかによって私たちの信仰生活も変わるのではないでしょうか。私たちの主イエス様のような方はこの世にいないことを自覚して主を誉めたたえて生きようではありませんか。