弱った手を強め、よろめくひざをしっかりせよ。心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐るな。見よ、あなたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」(イザヤ書353節ー4節)

1.ヨシュア記11節ー9
2.ローマ人への手紙815節ー24
3.ヘブル人への手紙122節ー13
4.ペテロの手紙第二33節ー10

パウロは「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(コリント人への手紙第二415節ー16節)」と、アサフが悪者は栄えるのを見て「私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりであった(詩篇732節ー3節)」と告白しているように、今日の聖句「弱った手を強め、よろめくひざをしっかりせよ。心騒ぐ者たちに言え。」は、体のことよりも、恐れや思い煩いに支配され、座り込んで無気力になってしまっている状態、あきらめた状態にあることを意味しているのではないでしょうか。そのような状態にある人に「強くあれ、恐るな。見よ、あなたの神を。」と、まず神を見上げるように勧めているのは、ネブカデネザル王が目を上げて天を見上げた時に理性が戻ってきて主の本質を知る者となり主をほめたたえたように(ダニエル書4章30節ー37節)、私たちの神を見上げることによって感情ではなく、理性によって物事を判断することができるからではないでしょうか。また「復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」と、救い主である主の再臨について語っています。私たちの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためにイエス様のことを(ヘブル人への手紙123節)、パウロが勧めているように死からよみがえられたイエス様のことをいつも思うようにしようではありませんか。