まことに、国々の民の神はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。(歴代誌第一16章26節)

1.イザヤ書40章21節ー31節
2.イザヤ書44章6節ー19節
3.使徒の働き17章24節ー26節
4.ローマ人への手紙1章20節ー25節

日本では世に存在するすべての物に神が宿っているとの考えのもと、数えきれない無数の神々を八百万の神として崇めてきたように、世界には数えきれないほどの神と称される神々が存在していますが、その根底にはパウロが「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。(ローマ人への手紙1章20節ー23節)」と語っているように、人は神によって創造されたがゆえに潜在的に神の存在を知っているからではないでしょうか。ところで、今日の聖句は「まことに、国々の民の神はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。」と、この世の神々と主との違いをはっきり語っています。天を仰ぎ見て、主の偉大さを忘れないようにしようではありませんか。