わたしは近くにいれば、神なのか。ー主の御告げー遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。ー主の御告げー天にも地にも、わたしは満ちているではないか。ー主の御告げー(エレミヤ書23章23節ー24節)

1.サムエル記第一10章17節ー24節
2.詩篇139篇1節ー12節
3.イザヤ書6章1節ー3節
4.使徒の働き17章16節ー28節

アダムとエバは蛇に化身したサタンの声に惑わされて神が禁じた善悪の知識の木から取って食べて罪を犯したために、神である主の声を聞くと主の御顔を避けて園の木の間に身を隠したので、主は「あなたは、どこにいるのか」と仰せられたのですが(創世記3章1節ー9節)、その一方で、人々が最初の王であるサウルを探しても見つからなかったので、主に「あの人はもう、ここに来ているのですか」と尋ねると、主が「見よ。彼は荷物の間に隠れている。」と仰せられたように荷物の間に隠れていたのでした。ところで今日の聖句「わたしは近くにいれば、神なのか。ー主の御告げー遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。ー主の御告げー天にも地にも、わたしは満ちているではないか。ー主の御告げー」は主のい言葉です。私たちは、教会で、賛美の中で主のご臨在を感じる時がある一方、アダムとエバのようにすべてをご存知な神を考慮しないで自分の考えで行動してしまうようなことがあり、私たちの気分次第で主の存在が近く思わされたり、遠い存在に感じたりしてしまいがちですが、祈れない時にも、主は私たちのためにとりなしておられ、どんな時にも、私たちがどこにいても見守っていてくださることを心に留めるようにしようではありませんか。