私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。(コリント人への手紙第一15章3節ー5節)

1.イザヤ書53章1節ー12節
2.マタイの福音書16章16 節ー21節
3. ルカの福音書24章34節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー4節

パウロは「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」と、最も大切なことはキリストの死と復活であることを語るとともに、それは旧約聖書に預言されていたことであること、語っているように、イザヤ書53章にはキリストの死について、イエス様がとりなして祈ることが書かれています。ところで、聖霊に満たされたペテロはヨエル書を引用して聖霊が注がれることを、また「あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。」と語ってから、詩篇16篇10節「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」を引用してイエス様の復活について、イエス様が仰せられたように聖霊が注がれたことを語ったのでした(使徒の働き2章15節ー36節)。ケパ、すなわち主は三度イエス様を否定されたペテロ(シモン・ペテロ)にご自身を現されたのでした(ルカの福音書33節ー34節)。聖霊に満たされたペテロが人を恐れず大胆に福音を語ったのはイエス様の復活を目にされ生ける希望を持ったからではないでしょうか(ペテロの手紙第一1章3節)。聖書のことばがいかに真実であるのかを心に据えて、みことばを、聖書の約束をしっかり握って生きようではありませんか。