ああ、神の知恵と知識との富は、何と底しれず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。(ローマ人への手紙11章33節)

1.創世記3章8節ー24節
2.創世記4章1節ー17節
3.イザヤ書55章6節ー13節
4.コリント人への手紙第一2章7節ー14節

パウロが「使徒となったパウロー私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によってのです。ー」と語っているように激しい怒りをもって迫害していた自分がキリスト者になるだけでなく、使徒と、キリストの証人となるなどと思ってもいなかったことではないでしょうか。罪を犯したアダムとエバに皮の衣を作って着せてくださっただけでなく、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれたのは、人がいのちの木からとって食べて永遠に罪人として生きないためでした(創世記3章21節ー24節)。弟アベルを殺害したカインが「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」と申し上げると、だれも殺すことのないように、カインに一つのしる私をくださり、結局、彼はエデンの東、ノデの地に住み町を立てたのでした。主がをその地から追い出したのは、その地を耕しても作物が育たないからであり、カインが生きるためでした。パウロは「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底しれず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」と語っています。人の目や考えに固執しないで、神の目線から物事を見るためにみことばによって物事を判断するようにしようではありませんか。