父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。(ヨハネの福音書15章9節及び12節)
1.ローマ人への手紙15章1節ー6節
2.コリント人への手紙第一10章23節ー24節
3.コリント人への手紙第一12章29節ー13章13節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー13節
イエス様は弟子たちに「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」と勧告されてから「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」と仰せられました。イエス様を神はどのように愛されたのでしょうか。イエス様は父なる神から「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と声があってから悪魔の試みに会い(マタイの福音書3章17節ー4章1節)、高い山で御姿が変わられたイエス様はモーセとエリヤとエルサレムで遂げようとしておられる最期について話し合っていたのですが、それを見た(ルカの福音書9章28節ー31節)ペテロが「私が、ここに三つの幕屋を造ります。」とイエス様に申し上げると雲の中から「これは、わたしの愛する子、(わたしの選んだ者である。ルカの福音書9章35節)、わたしはこれを喜ぶ。彼のいうことを聞きなさい(マタイの福音書17章1節ー5節、マルコの福音書9章2節ー7節)。」と声があったのでした。2回とも試練を受ける前に父はイエス様を愛していることを語ったのでした。神に愛されている、ということは試練に会うことがないということではなく、愛されているがゆえに平安な義の実を結ぶために主は訓練することを語っています(ヘブル人への手紙12章6節)。イエス様はペテロが三度イエス様のことを知らないということをご存知でペテロの信仰がなくならないように祈られただけでなく、「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカの福音書22章32節)」と仰せられたのでした。福音書の弟子たちはだれが一番偉いかなど、自分の利益を求めて生きている世の人々と同じように比較の世界に生きていましたが、聖霊に満たされた彼らは、自分に生きるのではなく、神の愛に生きる者へと変えられたのでした。神の愛に生きるために、イエス様のことを、神に愛されていること(ローマ人への手紙8章33節ー39節)を忘れずに生きるように心がけようではありませんか。