人の語ることばにいちいち心を留めてはならない、あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。(伝道者の書7章21節)

1.イザヤ書51章7節ー8節
2.ローマ人への手紙8章23節ー24節
3.ローマ人への手紙16章17節ー18節
4.ヤコブの手紙3章2節ー13節

十字架にかけられたイエス様はつばきをかけられたり、こぶしでなぐりつけられたり、あざけられたり、ののしられたりしましたが、今日の聖句が「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない、」と勧めているように、人のことばに反応されなかっただけでなく、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」と、とりなして祈られ、ご自分に与えられた使命をまっとうされ、私たちに模範を示されたのでした。人は想像力を働かせて人の心を読もうとしたり、勘ぐるようなことをして見かけで判断しやすいために、いつも真実を語るのではなく、感情に任せてその時の気分でことばを発してしまうと、人を傷つけるようなことを言ってしまうことがあるのではないでしょうか。だれでも人は完全ではないので、さまざまな間違いをします。ダビデはシムイからのろわれたり石を投げられたりしましたが、シムイの首をはねさせてください、と言ったアビシャイや家来たちに「彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう(サムエル記第二 16章5節ー12節)」と、説得したのでした。その結果、シムイはエルサレムに帰還するダビデに謝罪することになったのでした(サムエル記第二19章16節ー20節)。ダビデのようにどんな時にも主のことを考えて生きるようにしようではありませんか。