金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。(伝道者の書4章10節)

1.マタイの福音書6章19節ー33節
2.ヨハネの福音書6章24節ー35節
3.テモテへの手紙第一6章6節ー10節
4.ヨハネの手紙第一2章15節ー17節

イエス様は人々にたとえ話として、畑が豊作になった金持ちの人が「心の中でこう言いながら考えた『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」と言われました(ルカの福音書12章15節ー21節)。彼の問題は保証を神ではなく富においたのでした。ソロモンは「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。」と、パウロは「満ち足りる心を伴う敬虔こそ。大きな利益を受ける道です。」と語ってから「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。(テモテへの手紙第一6章9節ー10節)」と警告しています。心の豊かさはお金では買えません。投資が流行っていますが、だまされた方々のことも報道されています。この世に生きている限り、お金は必要ですが、何を愛し、何を保証としているのかが問われるのではないでしょうか。