天よ。喜び歌え、地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。(イザヤ書49章13節)
1.出エジプト記3章1節ー10節
2.イザヤ書44章6節ー23節
3.マタイの福音書9章27節ー36節
4.コリント人への手紙第二1章 3節ー5節
今日の聖句は「天よ。喜び歌え、地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。」と勧めていますが、その理由を「主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。」と語っています。パウロは同胞のユダヤ人から迫害されただけでなく、コリントの教会に行った時のことを「兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。(コリント人への手紙第一2章1節ー3節)」と語っているように、霊的プライドを持った肉のキリスト者から見下げられるようなことを経験しましたが、コリントの聖徒たちに「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」と祈られてから「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(コリント人への手紙第二1章2節ー4節)」と、主がどのような方であるのかを告げるとともに、キリスト者は十字架につけられたイエス様のことを心に留めるなら、人々を慰めることができることを語ったのでした。パウロのように弱さや恐れが襲ってきた時、十字架の主を思い起こし、主からの慰めを受けるだけでなく主を喜んで生きるようにしようではありませんか。