聞く耳と、見る目とは二つとも主が造られたもの。(箴言20章12節)
1.マルコの福音書4章1節ー24節
2.ルカの福音書8章4節ー18節
3.コリント人への手紙第二5章15節ー18節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
イエス様は群衆に「よく聞きなさい。」と仰せられてから、道ばたに落ちた種、土の薄い岩地に落ちた種、いばらの中に落ちた種、良い地に落ちた種がどのような状態をもたらすかを話されてから「聞く耳のある者は聞きなさい。」と仰せられたのですが、そのたとえの真意を尋ねたのは弟子たちだけでした。イエス様は弟子たちにその真意を説き明かされてから「聞いていることによく注意しなさい。」とも仰せられました(マルコの福音書4章1節ー33節)。 パウロが偶像崇拝をしているアテネの町の人々に復活について話されると信じた方もおられましたが、あざ笑う者や「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」と言って立ち去った方々がいたのでした(使徒の働き17章16節ー34節)。耳は聞く機能をもっていますが、聞く耳とは単に聞くのではなく、みことばに尋ね求め、みことばを信じる信仰に結びつくことを意味するのではないでしょうか。同じように、約束の地を偵察に行った12人のうち約束の地について悪く言いふらした者と同じようにヨシュアとカレブもそこの住民アナク人を見ましたが、人々に「主にそむいてはならない。」と忠告したように(民数記13章27節ー14章9節)、目に見えない神である主を信じ、パウロが「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。(コリント人への手紙第二4章18節)」と語っているように主をも見ていたのでした。何を聞き、何を見るかによって生き方が大きく変わってしまうのではないでしょうか。今日の聖句「聞く耳と、見る目とは二つとも主が造られたもの。」を心に据えて聞く耳、見る目を造ってくださる主を忘れないようにしようではありませんか。