ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり奇しいわざを行う。(詩篇72篇18節)
1.出エジプト記14章8節ー31節
2.ルカの福音書1章26節ー37節
3.ローマ人への手紙5章6節ー21節
4.ヘブル人への手紙10章1節ー18節
この世には数えきれないほどの神々が存在しますが、それらの神々は人の手によるものであり、人に世話をしてもらわなけれなならない存在であり、気休めによる安堵感や敬虔さを一時的に与えることができても、罪や死から人々を救う力はありません。ヨハネの福音書3章16節ー17節が「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりも滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」と語っているように、神は、まず、罪人を滅ぼすためではなく、罪人を救うために、人としてこの世に御降誕されたのですが、それはダビデの子、と呼ばれるように、ダビデとの約束を成就するためであり(サムエル記第二7章12節ー16節)、そのために聖霊によってマリヤの胎に宿られ、生まれたかたをした人はイエス様以外だれもいませんし、今日の聖句が「ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり奇しいわざを行う。」と、死後三日目に死からよみがえられ、その後再び死ぬのではなく生きたまま昇天されペテロが語っているように生ける希望を持つようにされたのでした(ペテロの手紙第一1章3節)。主がイスラエルの民を救うためになされた奇しい出来事を思い起こし、イスラエルの民のように主の偉大さを忘れてつぶやくよりも、永遠のいのちが与えられていることを忘れずに、主をほめたたえて生きようではありませんか.