すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ人への手紙6章18節)
1.ローマ人への手紙7章23節ー8章7節
2. コリント人への手紙第一2章1節ー15節
3.ヤコブの手紙4章1節ー5節
4.ヨハネの手紙第一5章 14節ー17節
パウロは私たちの格闘は悪魔や悪霊に対するものであることを語るとともに、悪魔の策略に対して立ち向かうために必要な神の武具について「腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大楯を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の剣である、神のことばを受け取りなさい。」と具体的に語ってから「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」と勧めているのは、ヨハネの手紙第一5章14節が「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する確信です。」と、コリント人への手紙 第一2章11節が「神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」と語っているからではないでしょうか。しかも、御霊は一つですから(エペソ人への手紙4章4節)、御霊によって人の心は一つとされるのではないでしょうか。御霊によって祈るために目をさましているように勧めているのは、エバやアダムのように悪魔にだまされないためであり、すべてのキリスト者のためには忍耐の限りを尽くして祈るように勧めているのは、教理や神学の違いから、祈りや願いが自分や自分の家族、属している教会、教団のみになってしまう可能性があるからではないでしょうか。パウロは今日の聖句の中で「祈りなさい」と二度も勧めています。すべてのキリスト者のために祈りましょう。