寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。(箴言19章17節)

1.マタイの福音書25章31節ー40節
2.ルカの福音書6章34節ー35節
3.使徒の働き10章1節ー48節
4.コリント人への手紙第二8章1節ー15節

今日の聖句は「寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。」と語っていますが、イエス様は「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられるたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイの福音書6章1節ー4節)」と施しをする場合の留意すべき点を語られました。敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたイタリヤ隊という部隊の百人隊長であったコルネリオのもとに遣わされた御使は彼に「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海べにあります。」と告げたので、彼は告げられた通りヨッパに敬虔な兵士をペテロのもとに遣わしたのでした。ペテロはコルネリオの家で福音を語り、コルネリオの家族、親族や親しい友人たちはキリスト者となったのでした。箴言20章6節に「多くの人は自分の親切を吹聴する。しかし、だれが忠実な人を見つけよう。」とあります。神に覚えられている祈りや施しは、神を畏れかしこむ敬虔さによるもので、マケドニヤの聖徒たちのように惜しみなく施す富になるのではないでしょうか(コリント人への手紙第二8章2節)。