主はご自分の全ての道において正しく、またすべてのみわざにおいて恵み深い。(詩篇145篇17節)
1.詩篇19篇7節ー10節
2.エレミヤ書9章23節ー24節
3.ヨハネの福音書1章14節ー17節
4.ヨハネの福音書14章1節ー6節
箴言14章12節や箴言16章25節に「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である」と語っていますが、イエス様は弟子たちに「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と仰せられてから「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14章1節及び6節)」と、仰せられたように、ご自身が道であり、死の道ではなくいのちの道であり、真理の道であり、主の道は完全であり(詩篇18篇30節)、平和への道であり(ルカの福音書1章79節)、救いの道、義への道であるために(ローマ人への手紙3章23節ー26節)、今日の聖句は「主がご自分の全ての道において正しく」と語り、「またすべてのみわざにおいて恵み深い。」と語っているのは、イエス様は、十字架につけた人やイエス様のことをあざけったり、ののしったりしている人々のため「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」ととりなして祈られたので、それまで他の人々同様ののしっていた犯罪人のひとり(マルコの福音書15章32節)はその祈りを聞かれてから「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げると、イエス様は恵みとまことに満ちてられた方なので(ヨハネの福音書1章14節)、彼がののしっていたことを責めることなく「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と、恵みを与えられたのでした。主は私たちを責めるよりも恵みをもって救ってくださる方であることを忘れないようにしようではありませんか。